幼少期から高校生まで
私は幼稚園~高校まではとにかく野球、野球しか頭にありませんでした。野球好きの父によって気付けばその様にしつけられていました(笑)学生時代は全てを野球に捧げてきました。
○3歳ぐらいでグローブをはめている写真が多々あります。
○物心ついた時から父とキャッチボールをしていました。
○みんながゲームをしている時に学校で壁当てをしていました。
○みんなが漫画を読んでいる時に野球用品の全メーカーのカタログをみていました。
○みんながドラゴンボールを見ている時に野球中継を見ていました。
○家族で買い物に行ったら一人でずっとスポーツコーナーにいました。
○誕生日やクリスマスプレゼントはほとんど野球用品をお願いしていました。
○小学校の修学旅行時の新幹線の中では選手名鑑を見ていました。
○朝起きて学校行くまでにグランド10周、夕方にも走っていました。夜は素振り。
○整体の専門学校に入る前に幼少の頃からの馴染みの個人スポーツ店に働かせてくれとお願いに行きました。
とにかく野球の事しか考えず、野球の事しか知らずに育ってきました。もちろん将来の夢はプロ野球選手!中3までは本当になれると確信していました(笑)高校も推薦で入学したものの、甲子園に出場する夢は叶いませんでした・・・。
何故、このような仕事に就きたいと思ったのか?
野球しかしてこなかった学生時代。そんな野球人生の中で肩を痛めずっと整骨院、鍼灸院に通っていました。そんな光景を毎日見ていると「この仕事凄いかっこいいな~。」「ずっと野球に携わる事が出来るな~。」と漠然と思っていました。
肩が痛い事もあり、もう上で野球をやる!という気持ちはなく、なんとなく就職しました。でもそんななんとなくは続く訳もなく、半年で退社。次の事を考えていた時にやっぱりスポーツトレーナーや整骨院で働く人になりたい!と思い、すぐ学校探しを始めました。
その時は、柔道整復師、鍼灸師、整体師、スポーツトレーナーなど何の資格があって、何の資格が必要なのか?という事も全く知りませんでしたので、と にかく早く入れて通えるところが良いと思い選んだのが、「村上整体専門医学院」という学校でした。何をする学校なのか?は全く知りませんでした(笑)。
何をするのか?全く知りませんでしたが、学校に入ると授業は月、火、水は学科の授業、木、金はほぐしや背骨や骨盤の矯正の授業といった感じでした。テクニックは凄く新鮮で楽しかったです。ただ、勉強の方は当然ですが大変でした。
生理学、運動学、解剖学、病理学、公衆衛生学、内科学、整形外科学、神経生理学、一般臨床医学など最初はちんぷんかんぷん。でも興味がある事だけあって、大変ですが楽しかったです。そこで2年間みっちりと体について学びました。
最初はスポーツ選手などの役に立ちたいと思い入った業界でしたが、スポーツ選手だけでなく困っている人を「楽」にしたい!という思いが強くなってきました。
卒業後は専門学校が運営していた治療院が全国にありましたので大阪駅近くにあった「梅田腰痛センター」というところで3年間修行をしておりました。
今は肩こり、首こりのほぐしを得意としているのですが、当時は腰痛センターに勤めていました(笑)
その後、他の技術と平行してお店の運営についても学んでいきたいと思い、京都、滋賀、大阪を中心に6年間勤めました。
そして、縁あって平成22年10月に愛知川に一号店の「ほぐし家 新風堂」をオープンさせる事になり、その後、平成24年2月に地元にほど近い膳所「新風堂」をオープンさせて頂く事になったのです。
地元でお店をさせて頂いているので、しっかりとこの地域に貢献していきたいです。その為にはまずは新風堂を笑顔いっぱいにし、新風堂発信で元気な地域にしていきたいと思っています。